PoBronson Blogから――アメリカの高校の作文教育のお寒い状況

PoBronson Blogから――アメリカの高校の作文教育のお寒い状況

以下は「Po Bronson’s Books, Articles, Stories, Scripts, and Projects」の全訳です。

  • title=教えること――子供と教育の現場から
  • author=アシュレイ・メリーマン

普段は教育についてはあまり書きたいとは思わないのだが、クリスマス休暇の終りにさしかかって、私の専門を教えることに関して暗礁に乗り上げたので、ちょっと聞いてほしい。

子供たちが1段落が1ページにも亘る作文を書くのを看るのにうんざりして、私は抜き打ちテストで2つの問題を出してみた――「文って何?」それと「段落って何?」。小学校2年生から高校2年生*1まで、子供たちの誰一人として文の定義について見当も附かなかった。ところが高校3年生に順番が回ってきた途端、皆が皆、段落について同じ答をするようになった。どんな答が返ってくるかもうわかったけど、ほらまた来た、ぜーんぶ同じ。

「段落は5〜7文の長さだ」と口を揃えてオウム返しにするのだ。子供たちは互いに頷きあって、我が意を得たりと満足げだ。

「ちがーう!」と私は叫んだ。

驚きが炸裂した。茫然自失の沈黙と困惑の表情が頷きに取って代わった。

「段落はひとつの論点についての文の集まりなの。辞書を引いてごらん、5〜7文なんてどこにも書いてないから。文はたったの1語でも完全に正しい文になるよ。例えば"Hello"とか。それから、段落はたったの1文でも完全に正しいものになる」

私は子供たちに一杯食わせたわけではなくて、その前に、年長の子供たちに(今まで年少の子供たちは全然聞く耳を持たなかったが年長の子供たちはまだ少しは聞いてくれていた)、対話を書くときは話者が変る度に段落を改めてるでしょ、と気付かせるようにしたのだ。続けて、子供たちの言う5〜7文の(序文から始めて、本文、結論と続ける)構成に当て填めてどうやって物語文を書くのかと尋ねたら、またまた、子供たちは困惑した。

みんなで、手近にある『Time』と『Newsweek』のコピー(子供たちに読ませていた)を手に取って、いったい何人の筆者が、子供たちが盲目的に従っているその段落構成を採っているか、見て探した。(そしてもちろん、誰一人として採っていなかった、全然)

暫くかかったが、徐々に光が射してきた――ひとつの段落はひとつの論点を表すんだ。

私はすっかり満悦して帰途についた。補習授業レベルから大学教養課程レベルの文章の書きぶりに子供たちを一気に引上げたのだと思って。私は長年気付かずにいた子供たちの作文の謎をあっという間に解決したんだと。

そして数週間後、ある高校生が、私がこのこと(私の素晴らしい洞察)を初回に聞逃した他の子供たちに解説しているのを聞いて、ぶつぶつ文句を言うた。私の言うた通りにやったら、国語の成績「F」をもらったよ、段落が短すぎるって、と。その子は教師の名前を言おうとしなかった(言うたら私はそいつに長々と電話するだろうと知ってるから)が、その子の私に対する信頼が深刻な打撃を受けたことはわかった。

まあ、「数学教師になったら?」と文句を附けたりはしないけど(途方に暮れた時はポーなり他の友達なりに電話するし)、『Strunk & White*2もよく知ってる。私は連邦政府の文書とか腐れ『Time』にも書いてきたんやで、頼むでほんま。要はふたりとも傷ついた(子供より私の方が傷ついたと想うけど)。

でも、もう一人の高校生は私の理論が有効だと考えて、リスクを冒すことにした。その子は私の提案に従って作文を書き、習ったことを教師に告げた。

その教師は初めは、私が間違ってると答えたが、しばらく考えて、

「OK、その人は正しい。その通りだ」とようやく認めた。

それから、その教師は私の指摘した点をひとつひとつ認めていった。ところが、ささやかな教育改革がなされつつあるのを目の当たりにして、教師はその子に、お友達には教えちゃだめよと約束させた。段落の長さは内容で決るということを他の子供たちが知ってしまうのは破壊的な危険がある、少なくとも厄介なことになるというのだ。

うちの生徒はその子の打明け話に戦慄した(他の子はまだ「F」をもらう苦汁をなめた)。

私は意気消沈して、もう子供たちにはこう言うことにした。「段落はひとつの論点を表すの。君たちの先生は5〜7文でこれが正しいと言うだろうけどね」

The Elements of Style, Fourth Edition

The Elements of Style, Fourth Edition

補足

どうやら作文の試験のコンピュータ採点のせいらしい。

一方、デメリットは、受験に備えてのライティング教育を担う先生たちが無難な路線ということで、定型的な5パラグラフ型エッセーに走ることが挙げられています。しかも、皮肉なことに、今、現場にいる人たちは、ちょうど100年にわたって続いた定型的なエッセーという手かせ、足かせを脱して、「実社会の英文は5パラグラフなどではない、good writing は good thinking でなければならない」とする考え方、指導法を学んで教職に就いたというのに、便利で無難だということで、またまた定型的なエッセーを教える羽目に陥っています。

2003年現在、 全米400校で使われている Vantage LearningのIntelliMetricに至っては、最初から対象が 5パラグラフ型エッセーに限定されています。最初からそういう設計なのです。http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2006/07/post_249.html

まさに「させられる教育」。しかも機械に! こちらも参照⇒はてな

*1http://benesse.jp/berd/center/open/berd/2007/01/pdf/07berd_01.pdf によると、5-3-4年制が主流のようなので、ここではそう仮定して、High Schoolの3年を高校2年と訳した。

*2http://en.wikipedia.org/wiki/The_Elements_of_Style 文章読本の定番らしい。